HELLO WORLD 小説版を読んだ
HELLO WORLDの小説版を読んだ。
前回のレビューで「そんなに面白くなかった」と言いながらも小説版読んでるの、ツンデレか?
死ぬほどネタバレあるので注意。
小説版で新たに判明した点は次の2つだ。
① 少年直実と大人ナオミが記憶を共有するシーンがあった
前回のレビューで「一方が他方の記憶も持ち合わせているからこの2人の堅書直実は同一人物である」という結論に至ったが、どうやら舞台裏で記憶の共有がされていたらしい。映画を一度見ただけでは何も分からなかったが、何かそれっぽい演出があったのだろうか。まったく記憶にない。
② 大人ナオミが連れてきた八咫烏と、少年直実の精神世界で出会った八咫烏は別人
スクリーンでは気づかなかったが、頭の色が黒と金色で異なるらしい。黒の方はナオミがナオミのいる世界から介入させたもの、金の方は瑠璃が現実世界から介入させたもの。
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また、映画では記憶に残っていなかったが小説で思い出したセリフがあった。それはラストシーンで現実世界の大人瑠璃が発した「『器』と『中身』の同調が必要だったんです」というセリフである。
これはどういうことなのだろうか?京都駅で少年直実を守るために犠牲になった大人ナオミの行動が、『現実世界の堅書直実の器』とどう一致するのだろうか?
ここで考えなければならないことは、現実世界では「瑠璃が生きている」ということである。
ここから推測されることは、恐らく「現実」の花火大会の日、直実は瑠璃を落雷から庇ったのだろう(物理的に無理だろうとか言ってはいけない)。そして直実は長い眠りにつく。
その眠りの中で、直実はひたすら瑠璃を目覚めさせようと奮闘するわけだが、その動力源は「もう一度瑠璃の笑顔が見たい」という、悪く言ってしまえば自己中心的な動機。
だが、この物語にはルールがある。長い眠りから目覚めるためには『器』と『中身』が一致していないといけない。それは作中で大人ナオミが語った通りである。
現実世界の堅書直実が眠りにつく直前の器はどのような人間だったか?大切な人のために自分の命を犠牲にできる人間である。じゃあ今は?
夢の中のナオミが瑠璃のためと言って自己中心的な努力を重ねれば重ねるほど、器との乖離は大きくなる。
しかし物語終盤の京都駅のシーン。ここでナオミは「大切な人=瑠璃」のために、「自分」ではなく「少年直実」と一緒に幸せになることを優先する。そして最期には自分の命を犠牲にしてその幸せを成就させる。
この瞬間、あの日落雷で昏睡状態に陥ったあの瞬間の「堅書直実」との中身が一致する。それは「大切な人のために、自分を犠牲にしてでも行動する」という精神である。
そうして堅書直実は現実世界で目覚めることができたのではないかと、私はそう思う。
■余談 地味に嬉しかったこと
映画中では主人公たちが高校何年生であるかという明確な証拠がなかったと記憶しているが、なんとなく高校1年生と踏んでいたため、前回のレビューで10年後の一行瑠璃の年齢を(26)と書いたところ、小説版の記述で「自分は二六歳になっていて」という記述を見つけた。か、解釈の一致~~~~!!!!!
■追記
スピンオフ小説も読みました。