HELLO WORLD 他の人の考察を読んだ

これまで映画、小説、そしてスピンオフ小説と読み進めて考察をしてきたが、今回で最後(のはず)。

今回はネット上で見つけた考察を読んだうえでHELLO WORLD について語る。

 

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先に言っておくと、今のところこの作品を理路整然と説明する考察にはいまだ出会えていない。

前回までに書いた私の考察は以下の通り(詳しくは↑の考察を参照)。

■アルタラとは何だったのか?

基本的には映画内で語られたものと同一。現実の記録であり、アルタラで起こったことはすなわち現実でも過去に起こったことである。なお、アルタラIIは堅書直実が開発したアルタラI(便宜上こう書く)を一行瑠璃が改良した第二世代。

■堅書直実はなぜ脳死になったのか?

堅書直実の肉体がアルタラIへの繰り返しのダイブに耐えられなかったから。2037年、堅書直実は一行瑠璃を目覚めさせることに成功したものの、それと入れ替わるように脳死となる。

■残された謎

一行瑠璃は20年間勘解由小路三鈴とともに堅書直実を目覚めさせようと研究していたらしい。もし仮に上の仮説が本当であれば、一行瑠璃は10年間しか意識がないはず。

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というわけで、ひとまず自分の考えがまとまったので考察サイト巡りを解禁したのだが、まともに考察しているのは以下のサイトくらいしか見つからなかった。

(あらすじは?声優は?主題歌は?じゃあないんだよ、もっと考察をしろ)

wakatake-topics.com

上記サイトでの考察は以下の通り。

① 2027年、現実世界で落雷に打たれたのは瑠璃ではなく直実

② そこから2047年まで直実は眠り続けている

③ 瑠璃はアルタラII内のプログラムを書き換えて、落雷の標的を直実から瑠璃に変更した

④ その結果、直実の精神は狂気に染まってしまい、魂を呼び戻すことができなくなる。

⑤ なんやかんやあって直実が本来の優しさを取り戻し、2047年の器に無事収まる。

こう考えると、先ほどの謎「瑠璃が20年間研究を続けていた」という謎は解決することになるのだが……。新たに疑問点が出てくる。

「2027年、現実世界で落雷に打たれたのは瑠璃ではなく直実」、という考察は、私も小説版読了後に辿り着いた仮説である。

だがなぜこの仮説を棄却したかというと、アルタラは「過去の記録」だからである。アルタラが過去の記録であるならば、現実の2027年でもやはり瑠璃は雷に打たれていなければならない。

そこで上記ブログの筆者は「瑠璃はアルタラII内のプログラムを書き換えて、落雷の標的を直実から瑠璃に変更したのだ」という仮説を立てている。

ただ、アルタラの制御プログラムは、原因と結果のうち特に結果を修正する能力が非常に高い。

それは前回のスピンオフ考察で私が書いた通りである。

まず前提として、アルタラの世界では、何らかの干渉により本来の因果関係が崩れそうになったときに、結果だけ帳尻を合わせて世界を保とうとする性質がある。

それは、本編で花火大会に誘われなかった一行瑠璃が、落雷の時間にテレポートで会場まで運ばれたことからも明らかである。

「堅書直実が一行瑠璃を花火大会に誘う」という原因はどうでもよい。「一行瑠璃が雷に打たれて脳死になる」という結果がアルタラの世界の均衡には必要なのだ。

「人間を瞬間移動させる」 などという超常的現象を引き起こしてまで結果を一致させようとする修正プログラムが動いている中で、そう簡単に脳死する対象を入れ替えることができるのだろうか?

まして、アルタラII内の堅書直実は自分の世界がアルタラの中とは微塵も考えていなかった。ということは、落雷の対象を変えた後も修復プログラムは働いていなかったと考えられる。

また、上記ブログでも触れられていたが、もし2027年時点で堅書直実が脳死になったのだとしたら、2027年時点の堅書直実の精神をサルベージするほうが理にかなっているのではないか?

脳死が文字通り脳が停止している状態なのであれば、2047年に目覚めた堅書直実の本来の精神状態は16歳当時から成長していないはずである。とするならば、わざわざ2037年にこだわった理由がわからない。

ひとつ仮説を挙げるのであれば──かなり一行瑠璃の精神性からかけ離れていると思うが──2027年の精神を呼び戻した場合、36歳の男性にしてはあまりにも幼すぎる堅書直実が誕生してしまう。それは美しくない。そこで2047年の肉体にふさわしい落ち着きと2027年当時の優しさを兼ね備えた「わたしの考えた最強の堅書直実」をこの世に生み出すためにわざわざ2037年まで待った、という説も考えられるがどうだろうか。なかなかにいい性格をしていると思う。

……というわけで、結局これぞ!といった考察には出会えなかった。

我こそは!という考察班。是非考察を頼む。